2009年11月28日土曜日

高尾山結縁灌頂のご本尊

今日28日(お不動様の日でもあります)10月6日に僧侶だけで受けた高尾山神護寺での結縁灌頂でご縁を戴いた仏様の種子が事務局から送られてきました。オンという金剛宝菩薩の種子でした。自分では投華のあと目隠しをとられて曼荼羅を見たとき樒の落ちたところは金剛法菩薩と思い込んでいたのです。ところがこのときの曼荼羅は常のように上下が東西になっているのでなく南北になっていたのです。従って大日如来の上は宝波羅密菩薩でそのうえが金剛宝菩薩となっていたのでした。10月4日に求聞持を無魔成満してすぐにこの結縁灌頂に臨んだため虚空蔵菩薩様にご縁を結ばせていただけるかもしれないと思っていたのですが自分で曼荼羅を見てさらに承仕の僧が「コンゴウホウボサツ」といったので曼荼羅の位置からしても金剛法菩薩だとおもいこんでいたのです。法菩薩は観音様の化身でもあり観音様と結縁したのだと思っていたのです。ところが今日やはり虚空蔵菩薩様の金剛宝菩薩様と結縁していたとわかりなにかじわーっと喜びが沸いてきました。 
 奇しくもこのあとかさねて郵便が届き、太龍寺で私の前に行をされたT師から求聞持行者の書がおくられてきたのです。市川覚法師「修行1200日」藤谷宗澄師「智慧をもとめて」などです。いずれも相当の行をされている内容でした。
 やはり求聞持行はただの行ではありませんでした。

2009年10月9日金曜日

求聞持成満

8月15日開白、10月4日結願で四国21番阿波太龍寺にて求聞持無魔成満しました。自分自身のみでなく周囲すべての条件が整ったことに限りなく法界のご加護を感じ強い報恩の気持ちを持ち山をおりてきました。

2009年7月23日木曜日

蘇加持と皆既日食

7月22日某所で「蘇加持」に立会い、皆既日食を見、「蘇」を戴きました。行者冥利につきる日でした。このようなすごいことがわが身におころうとは一年前までまったく予想もしていませんでした。

2009年7月18日土曜日

法会の夢

夢で多くの僧が何種類もの法会に参加している夢を見ました。当方はお大師様のことを勉強する会に参加していたのですが他にも得度式のようなことをやっていたり、伝法灌頂のような法会もやっていました。

2009年7月14日火曜日

儀軌のすごさ

12日護摩をたいていたら多くの護摩木があがりました。その日はこのあと行にはいるので3ヶ月くらい休むことにしている最後の日でした。とくに念をいれてお不動様にこれらの方の願いを叶えてくださいと拝みました。なかにその日におこなわれる都議会議員選挙の自民党候補者の名がありました。その寺の縁者らしくいつも壁にはその議員のポスターがはってありました。わたしは自民党はきらいですが護摩札のお願いを自分の価値観でつぶすわけにいはいきません。これも虚心にお願いしました。札が燃え尽きるまでなんども御真言をおとなえしました。拝んでいるうちにそれぞれのねがいは必ず叶えられると確信しました。
 翌日新聞をみるとその候補者は世田谷区で上から3番目でしたが当選していました。普段護摩には来たこともないひとでしたがお不動様のお蔭を戴いたのです。
 またいつもくる若い女性も心配して拝んでいた親の状態が最近非常によくなったと感謝してくれました。
 これらは私の法力でもなんでもなくすべてお不動様仏様のおかげです。そしてそのお蔭がこのようにはっきりといただけるのは偏に師から伝授をうけた儀軌どおりにおがんでいるからです。密教のすごさはありがたさここにあるということをあらためて身をもって体験させられた日でした。

2009年6月24日水曜日

どこに連れて行くのですか

今朝の行中にふと「大慈悲三昧に住すれば恐れもなくなり全てのものが救われる」とおもい至りました。講の人から「われわれをどこにつれていくのですか」という公案よりもきびしい問いを投げかけられていましたがその答えが仏様より与えられました。大慈悲の里につれていくのです。ここは絶対の安心の里です。この考えに思い至ったのは自分の力ではなくまさに佛さまのお計らいでした。

2009年6月23日火曜日

行中に佛の世界が分かる気がしました。観想中に佛様の世界がはっきりと見えました。それは気のせいというものではなく行を終わって日常生活に戻って電車にのっていても感じられます。瞑想で一度奥深い世界に入るとからだがおぼえていてすぐにその世界に入れることに似ていると思いました。ただ行をご指導いただいている先生からは「時々覚ったというような気がすることがあるがそれはまだまだの段階だ」といわれていますのでこの体験もまだまだなのでしょう。しかし今後のためにメモとして残して置きます。

2009年6月21日日曜日

心も体も不生不滅

けさ行をしていて「心もとより不生なり性相空なるがゆえに」との観想に差し掛かったとき「そうだ我々の心身は不滅なのだ」と思いました。是は自分で思ったというより仏様が示してくださったのだと思いました。われわれの不安のもとは親しい人や自分自身が死後どうなるのかということです。死でも死なないことがわかればこの世のすべての悩みは解決します。大きな安心をえることができるのです。いままで体は全てのものが全てのものの中にあるという感じがつかめつつあったのですが心までその考えが及んでいなかったのです。考えれば心身が不二なのですからこころも体も1つでそうごにあらゆるものも中にいりこんでいることはあたりまえだったのです。今日はお大師様の日でした。有難いことです。

2009年6月12日金曜日

お地蔵様の夢

大変有難い夢をみました。生家の寺の門にお祀りしているお地蔵様のまえで私と妹が拝んでいるとき、わたしがこれはお父さんの魂が入っているんだといって手を伸ばすとお地蔵様の手が動いて私の手と握手をしてくださったのです。あまりの有難さに目が覚め仏壇におまいりしました。

2009年6月9日火曜日

先祖供養

いぜんから漠然と感じていたことですが自分の運勢はかなり先祖が守って下っているのではないかとおもいます。亡くなった父や母が人生の節々にほんとうに助けてくれているような気がします。また実際さまざまな夢も見ました。どこのご先祖様も子孫を一生懸命に支えてくださっているのです。このご先祖さまの霊界での位をあげていただくべくそしてさらにパワーをつけていただくべくお経を何度もとなえたりお寺で先祖供養をしてもらうのが大切なのです。

2009年6月8日月曜日

神護寺と高山寺

6月3日神護寺と高山寺にお参りできました。とくに神護寺は以前からお大師様が結縁灌頂をされたところとして有名でしたのでお参りしたいと願っていたところです。そして突然のお願いにもかかわらず御住職が秘仏を拝観させてくださいました。ことらも空衣に如法衣でいきましたのでこころおきなく拝めました。お大師様の御住坊跡の御影堂はありがたくていつまでもお経を上げました。金堂のご本尊や如意輪観音様お地蔵様大黒様弁天様と如意宝珠も拝め夢のようでした。

高山寺も明恵上人の寺としてあこがれていたので御住坊の石水院やお釈迦様をおまつりしている金堂をおまいりできありがたさに浸りました。

2009年5月24日日曜日

不思議な縁

きょうしばらくみえなかった近所の主婦の方が護摩に参加しました。このかたは2年ほど前私の護摩の炎の写真を突然とりそれが観音様のお姿になっていたということがあった方です。その方のいうにはそのとき私は「これは長谷寺の十一面観音様です」といったのでそのとき以来さがしていたのだが先日やっと長谷寺の観音様の写真が入手できこれをみるとやはり観音様の宝冠の正面の観音さまがちょうど合掌をされていて私の護摩の炎の観音さまと同じだったと言って写真を見せてくれました。やはりそっくりでした。私がそんなことをいった覚えはないのですが、いずれにせよ有難いことでした。

2009年5月17日日曜日

護摩の説法

今日は予感どおり新しいひとが護摩に加わりました。護摩の後佛器磨きを手伝ってもらいながらこのような話をしました。

「宇宙はそれ自体エンドレスに変化している。量子力学によると物質の究極の構成要素の素粒子もある瞬間は消えて波動になっている。まさに一瞬たりともおなじ状態はない。そこから般若心経の不増不減、不垢不浄などがでてくる。我々は宇宙開闢以来エンドレスな変化を繰り返してきている。ということは我々はすべてのものと互いに交じり合っているということ。我々の中に全てがあり、全てに中にわれわれの要素もあるということになる。したがって全てのものと繋がっているのだから因果応報となり善因楽果、悪因苦果ということも出てくる。」

遍路の夢

昨夜夢をみました。お遍路をしていて道中で巨大な2m以上の遍路が弊衣破帽で歩いていてそのひとをよけて更に歩くと僧形の遍路がおおく歩いているのに出会いました。それだけなのですが不思議な夢でした。

2009年5月13日水曜日

祓詞

祓詞(はらへことば)
「掛(かけ)まくも畏(かしこ)き伊邪那岐大神(いざなぎのおほかみ)筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小戸(おど)の阿波岐原(あはぎはら)に禊祓(みそぎはら)へ給(たま)ひし時(とき)に成(な)りませる祓戸大神等(はらへどのおほかみたち)諸諸(もろもろ)の禍事罪穢有(まがごとつみけがれあ)らむをば祓(はら)へ給(たま)ひ清(きよ)め給(たま)へと白(まを)す事(こと)を聞食(きこしめ)せと恐(かしこ)み恐(かしこ)も白(まを)す」を毎朝となえています。最近では毎日の食事や身の回りの自然など神様のご恩によるものなのになぜ今まで分からずにうかうか過ごしてきたのだろうかと思うようになりました。

2009年5月11日月曜日

大寺院の力

今日ひさしぶりに川崎大師にお参りに行きました。なにか京浜急行に乗っているときから
非常に明るい気分になりました。大師に着くとよりその感は強まりました。いままで気がつかなかったのですがここは何か特別の力をもっています。愚息のことを拝むといままでめったにかかってきたことのない愚息から1時間後に電話がかかってきました。山本玄法老師は「寺には護法善神がいて守っているのじゃ」とおっしゃいましたがその通りであると思いました。寺のみでなく神社もおなじでしょう。

2009年5月10日日曜日

護摩の雰囲気

今日護摩のあとでいつもみえる若い方が「今日の護摩の雰囲気はいつもと違っていました」といいます。

「どう違いますか」と聞くと

「いつもは此の季節新緑のなかでいかにも寺に来ていると言う雰囲気ですがきょうは厳粛で仏様がそこにおられるという雰囲気でした」といいます。

毎日修法をし、瞑想をしているからそういう雰囲気になったのでしょうか。

それとも先日来瞑想のなかで「自分も山川草木も一切が如来の元から来ている」ということが実感できたのでそのせいでしょうか。

いずれにせよ昔田原先生がいわれた「行は修したら修しただけのことはある」ということばを思い出します。

2009年5月9日土曜日

観世音とは汝ら庶人これなり

白隠禅師は「「観世音とは汝ら庶人これなり」と喝破しました。今日夕方瞑想しているとき我々も山川草木も宇宙の摂理の元に存在し滅していくわけで如来であり如去であり観音さまであり仏様であるのだと実感しました。

御成敗式目

御成敗式目に「j神は人の敬いによりてその威を増し、人は神の徳によりて運を沿う」とあるそうです。昔山梨の神社で此の言葉を見て以来出典が分からずに気になっていたのですが10年ぶりに分かりました。

山川草木には神霊が宿っていること

慈雲尊者の「人となる道」に「およそ物あれば能あり、能あれば徳あり。世間事物の中、楽器は工匠の手より出で来るものなれどもその妙物は必ずその徳備わるなり。刀剣はヵ鍛冶が手により造立せるももなれども、その逸物にいたりてはその徳あるなり。まして山川草木は広大なる物なればかならず神霊あるなり。地水火風はさらに広大なれば四大神その徳著しきなり。五穀は人民を利する功大なれば必ず神霊あるなり。天はさらに尊尚なれば天神その徳あり。日月星辰みな神霊あり。有徳の君、有功の臣みな神霊あるべし。」とあります。

見果てぬ夢「衆生無辺誓願度」

嶋野榮道師「禅僧ひとりニューヨークに立つ、愛語の力」に感動的な場面があリます。嶋野師が先輩千崎如玄師が永らく預かって世話をしていた精神障害児を施設に何十年ぶりかで訪ねたときその児が「しゅじょうむへんしぇいがんど」とだけ言えるようになっていたというのです。千崎師が子守唄代わりに何度もその児におしえたのでしょう。「これが祈りの力というものです。・・ジミーは私を千崎師と勘違いしたようでした。私を見るなり、延びない手を一生懸命伸ばしてよだれをたらしながらなにかをしゃべりかけてきました。耳を近つけてきいていると最後に「しぇいがんど」というのが聞こえました。「誓願度」のつもりでしょう。その言葉を聴いた途端全身に鳥肌が立ちました。それまで私自身何千回何万回「衆生無辺誓願度」と唱えてきたか分かりません。しかしあのときのジミーの口からでた「しぇいがんど」くらいズーンと響くものはあとにも先にもきいたことがありません。」と書いてありました。

精神障害児ジミーはまさに代受苦の菩薩として衆生の苦を引き受けていることを「しぇいがんど」で表しているのではないかとおもいました。

定住観を修しました。

「思え自心の中に満月輪あり、その上に阿字あり、阿字本不生不可得なるが故に心の自性本不生不可得なり、心不可得なるが故に衆生不可得なり、心の自性本不生不可得なるが故に衆生の自性本不生不可得なり、衆生の自性本不生不可得なるが故に諸佛の境涯本不生不可得なり、諸佛の境涯本不生不可得なるが故に佛界、衆生界無二平等なり、佛界、衆生界無二平等なるがゆえに自身即ち本尊、本尊即ち自心なり。」というものです。やっと分かりかけてきました。

2009年5月4日月曜日

高野山上での不思議な出会い

5月1日高野山上刈萱堂の前あたりでとつぜん自分の名を呼ばれた気がしました。自分の名など山上で知っている人はいないのだから気の所為だと思い、なおも歩いていくとやはり後ろから自分の名を呼んでいます。ふりかえるとかなり後方で自家用車の窓からだれか顔をだしてこちらを見ています。人違いで呼んだのだろうとなおも戻っていくとなんとその人は何十年も行を指導していただいている先生だったのです。先生は奈良に住んでいるのでそうそう頻繁に高野山に来る事はないのですがこの日は大峯山にいく途中だったということでした。私の後姿を車の中でみて呼びかけてくださったのです。おかげで夏からの行の相談まで出来ました。先生には昨年四国の三角寺でも遍路途中でばったり出会っており二回目の迴会です。ふしぎな有難いことでした。

衆生の神聖さ

高野山の結縁灌頂で庭儀曼荼羅供のお練の高僧達をおおくのお遍路装束の善男善女たちが合掌して見守りました。これらの人たちを見て自分も思わず涙が出そうになりました。人々の純粋な信仰心のなかにこそ仏様がいらっしゃるのだと思わせられました。

結縁灌頂のありがたさ

5月3日高野山で結縁灌頂を受けてきました。入壇番号は23で父の命日とおなじでした。やはり父が守ってくれていたのだと思いを新たにしました。

宿坊の夢

5月1日、高野山の宿坊で夢をみました。夢というよりも本当に現実と境目のないような感覚でした。昔の学僧の名をそこの若住職と私でいろいろと数えあげていると言うものでした。

2009年4月29日水曜日

大日如来の自覚

密教では宇宙、この世の本質や真理が大日如来として表れているといいます。山、風、海、草花すべて大日如来ならざるはなしということなのです。すべてが宇宙の真理の表れであり大日如来のあらわれなのです。行でもそういう観想をしてきました。しかしいまおもいかえすとややもすればむりやり力ずくで観想していたきらいがあります。自分の肉体、存在と宇宙法身の間にはやはり言うにいえないなにか隔たりを感じつつ無理に一体感をだそうとしていたのです。しかし最近の胎蔵法で、自分の肉体、自分の体、命もまた大日如来の現れであり庭の草花とも本当に一つである、というなんともいえない自覚に達することが出来ました。この根源をつかめば見果てぬ夢とおもっていた「衆生無辺誓願度,福智無辺誓願集,法門無辺誓願学,如来無辺誓願事,菩提無上誓願證」などの五大願も実現できるのではないかと思い至りました。

2009年4月22日水曜日

本の記述から

昨日よんだ本の記述でこれだというものがありましたので記録しておきます。
1つめは大法輪5月号の立松和平「良寛」に良寛が「日々の修行の本質とは自分を保ち、他をも保つことだ。なぜかというと自分の日々の修行はそのまま全天地と全宇宙を覆うものであって皆がその功徳をこうむるからなのである。」というものです。こうしている今も各地で千日回峰行、八千枚護摩、座禅、滝行、求聞持、遍路、絶食等人に知られず行に励んでいる行者もおおいのです。こういうひとは孤独なのではなくまさにその行が全宇宙を覆っていたのです。
2つ目は大乗起信論の解説をしている渡辺照宏師の「真如」という論文でここに心真如を解説して「万物は本来からいえばそのまま絶対界であって概念や言語によって把握することもできないし変化することもない・・・」というくだりです。ここをよんでいて改めて先週井の頭線で沿線に咲いていた皐月のピンクの花々と周りの木々の新芽の緑をみてまさにこれは曼荼羅だと思ったことを思い出します。

2009年3月29日日曜日

高崎駅で僧侶志望者に話しかけれらたこと

今日福聚講で水沢観音様におまいりにいくということで高崎駅で講のメンバーと待ち合わせしているときわたしの白衣姿を見て若者が「お坊さんですか」といいながら近寄ってきました。一瞬身構えましたがよく聞くとじぶんも僧侶になりたいと言うものでした。時間がなかったのでブログの「福聚講」というのだけおしえてここにアクセスして連絡してくださいと言って分かれました。もっと時間があればよかったのですがそれにしてもこんなところで僧になりたい人が近寄ってくるなど不思議でした。

2009年3月21日土曜日

20日岡山の母が立ちくらみがするというので思い切って墓参りをかねて帰省してきました。その帰りこ午後高野山にもおまいりしました。とても日帰りできまいと山上寺院に宿泊をお願いしたところ満員で断られました。しかたなく携帯で最終新幹線を調べるとなんと墓参りをしても悠々と最終で帰京できることが分かりました。山上で奥の院、師僧の墓、我が家の墓の3箇所をおまいりし最後に奥の院参道にある興教大師覚鑁上人の廟にもおまいりしました。興教大師は私が夏に予定している大行の大先輩でもあるのです。

ここで不思議なことがありました。2年前ラージギル清掃の旅ではじめてしりあい昨年四国逆打の遍路行で三角寺でばったり会った高野山大のN師にまた興教大師廟前でばったりあったのです。普段人気のない廟のまえで先にお参りしているひとの顔をみるとN師だったのです。

お互い「不思議な縁を感じますね」といいつつ分かれました。

2009年3月17日火曜日

心教をあげて輪廻を実感したこと

けさ夏に行う大行に備えて伊勢神宮の天照大神様に般若心経百巻をあげているとき突然しみじみと「自分を含め生きとしいけるものはほんとうに生まれ変わり死にかわりしているのだなあ。自分もなにかの業にひかれてこの世に生まれてきているのだろうが今回の生で仏の教えにあいこうして行をさせていただけるのはほんとうになんと有難いことか。どういう前世の善行でこのようなありがたい機会に恵まれたのだろうか。不思議でしょうがない。それにしてもこの有難い仏縁をなんとかして一人でもおおくの人に広めたいものだ。」と思いました。神様にお経をあげているときこのような気持ちになるのは不思議でした。

2009年3月14日土曜日

またこの方からこういう話を聞きました。「以前意識がなくなって寝込んだおばあさんがいた。頼まれて尋ねてみるとお婆さんは意識がない中ねたきりで手だけをなにやら長方形に動かしている。そこで家のひとに此の家におまつりされてないお位牌かお墓はないですか?と尋ねるとおとで土にうもれた家出人のお墓がでてきた。これをほりだしてお祭りしてたところおばあさんはすぐに正気に返り元気になったということがあった。」不思議なことはあるものです。
先日ある先達から「親類であっても自宅の仏壇に自分の家系以外のお位牌をおまつりしているとよくない。先祖をお祭りする直系の子孫がいなくなったうちのお位牌などは寺に預けて供養してもらい縁のあるひとはその預けてある寺にお彼岸やお盆にいきおまいりすればよいのです。」と聞きました。
3月13日ご縁があり信貴山におまいりし貫主から私が夏に行う予定の秘密の行に使う貴重な仕具を頂きました。そのうえ自ら山内を案内していただき極秘の行場も案内していただきました。此のとき信貴山には私がご縁をいただいた多くの仏様が祀りされていることに気がつき強い尊崇の念を抱きました。

2009年2月18日水曜日

先祖供養

先日護国寺で涅槃会のあと数名の先祖供養をしてもらいました。うしろから拝んだのですがなにか仏様に届いた感じがしました。われわれも大きな行の前は先祖供養をします。般若心経を最低でも千巻あげます。いまある行の準備で800巻目をあげていますが非常に有難い気がします。時間は100巻で1時間かかります。でもそれだけのことは感じます。みながそれぞれ先祖供養をしていけばせんぞはつきつめればただ1対になり更にその先はミトコンドリアなどまでいくのですからここまで供養できれば世の中がかならずよくなることは当たり前と思えてきました。あとで此のとき参加した若い女性に聞くと欄間のうえにあった如意輪観音さまのお口がみなのお経にあわせて動いていたと言うのです。私もなにかお像が不思議な感じに見えたのですがこういうことがおこっていたとは・・・。不思議なことでした。

2009年2月14日土曜日

行の前の心の持ち方

8月から大きな行に入る準備に取り掛かりました。なかなかぴたっとした気持ちになれないでいたのですがやっと最近自分を明治ぐらいの行者にみたてることでその気持ちの区切りがつきました。いつまでも俗人の気持ちのままでいたので行とのギャップになじめないでいたのが分かりました。いくら身の回りの準備をしても肝心の根っこの心の部分がゆるゆるではいい行に入れないのはあたりまえだったのです。じぶんを明治期ぐらいまでの本当の行者とみたてることでなにか一本心の心棒が通ってきました。心の持ち方とは本当に不思議なものです。書などでも心がそのままあらわれるというのはこういうことだと思いました。