2008年4月21日月曜日

昨日護摩のあと、境内にきていた若い夫婦ずれらしきひとから弁天堂の弁天様の前にお祀りしている蛇体人面の神様のことを尋ねられました。これは弁天様が蛇に縁があるということで宇賀神という神様をお祀りしているものでした。辞書によると中世以降信仰された神でサンスクリットの「宇迦耶」から来たと言う説(弁財天三経略疎)と記紀にあるウカノミタマに由来するという説(塵添壒囊抄)があるということです。穀霊神、福神として信仰されていたが比叡山教学に取り入れられ弁才天と習合し、宇賀弁財天として独特の展開を見せると言うことです。鎌倉時代台密穴太流の僧謙忠選の修法書「最勝護国宇賀耶頓得如意宝珠王修儀」が成立している。宇賀弁財天には多くの経典があり、「仏説最勝宇賀耶頓得如意宝珠陀羅尼経」「仏説即身貧転福徳円満宇賀神将菩薩白蛇示現三日成就法」「仏説宇賀神王福徳円満陀羅尼経」が弁財天三部経とよばれまた、「仏説大宇賀功徳弁才天経」「大弁才天陀羅尼経」を加えて弁財天五部経ともよばれた。宇賀弁財天は天女形で八ぴその腕に鉾、輪寶、寶弓、宝珠、剣、棒、鑰、寶箭をもち頭上に老人の顔を持つ白蛇を戴いており眷族として15王子を率いる。帰依すると福徳円満をえるという。宇賀弁財天への信仰は竹生島、厳島、江ノ島、紀伊天川など全国にひろまった。また陰陽道、吉田神道にも取り入れられたとされます。

2008年4月20日日曜日

護摩堂にきた20代の若者に話しかけました。神妙なかおで拝んでいました。般若心経も知っていると言います。「『色即是空、空即是色」はこの世のことは有為転変極まりないものである。しかしその変化してやまないものが同時に宇宙の姿として我々の前に現れているということだ」と話しました。護摩が始まっても1時間以上立って拝んでいました。次は河波さんで十善戒を解説してあげました。最後は若い二人つれです。佛教では自分自身が仏であると説く。すべての人が幸せになるようにと拝めといいました。若者はうなついていました。

2008年4月15日火曜日

昨夜夢をみました。母と歩いていたのですが民家の横を通ると多くのひとが縁側や畳のへやに詰め掛けています。仕切りをしてある部屋も多く、祈祷師が悩み事に答えているのだとわかりました。なぜか「このていどの祈祷師でもこんなに多くの人がつめかけるのだから自分もこういうことをやればもっと多くの人がくるのではないか」と思ったところで目が覚めました。こういうことをせよというお示しだったのでしょうか。

2008年4月14日月曜日

私は「なぜ運命はあるのか?幸不幸はなぜあるのか?」ということに幼いときより疑問をもっていました。
病気や事故などこの世には幸不幸が不平等に訪れている気がしてしょうありません。まず、こういう運命の過酷さをお経はどうあつかっているのでしょうか。
文学上は平家物語「巻1禿髪」に「清盛公仁安三年十一月十一日年五十一にて、病におかされ、存命のために忽に出家入道す。法名は浄海とこそ名のられけれ。其のしるしにや、宿病たちまちにいえて、天命を全うす。」とあったり、幸田露伴「筆と病」に「文学を通して時をうかがえば・・・源氏物語の中にこもれる当時の人の疾病に対する思想を考ふるに疾病はすべて他人の怨恨、もしくはよるところなき鬼物の漂著、若しくは神仏の冥裏の呵責よりきたるものとなせるが如し。・・・ひいて徳川氏の代にいたって猶その余威を有せり・・・」とあります。

お経です。
大智度論巻8「病に二種あり、先世の業病と今世の不摂生病なり。・・・何の因縁をもってか病をうるや。答えていわく先の世にこのんで杖で打ち(鞭杖)ごう掠、閉じ込め(閉繋)をおこない種種に悩ますがゆえに病を得。・・・」
大智度論巻3「無功徳の人は生老病死の大海を渡ることあたわず。少功徳の人もまた渡らず。」
大智度論巻58「若し善男子善女人ありて般若波羅密多を受持しないし正憶念せばついに毒に中りて死せず。兵刃も傷つけず、水火も害せず、乃至四百四病もあたることあたわざるところなり。その宿命、業報を除く。」
弘法大師の「秘蔵宝鑰」に「病は四大不調と鬼と業とにより起こる」とあります。また「妙薬は病を悲しんで興り、仏法は障りを愍んで顕る。この故に聖人の世に出こと必ず慈悲によるなり。・・・抜苦与楽の本は衆生の心病の源を防ぐにしかず。」ともあります。
また「身病多しといえども、その本はただし一つ。いわゆる無明これなり。・・・身病を治する術は、大聖よく説きたまへり。・・・四大のそむけるには薬を服して除き、鬼業のたたりには呪悔をもってよくけす。薬力は業鬼をしりぞくることあたわず、呪功はつうじて一切の病を治す」(十住心論)
「四魔現前すれば、すなわち大慈三昧にいり、四魔等を恐怖し降伏す」(吽字義)
(蘊魔(肉体を持っているために迷う魔)、煩悩魔(愚かさのために迷う魔)死魔(死を恐れ、死を願う魔)天子魔(善事をねたみ害そうと外からくる魔)に魅入られたときはおおいなる慈しみの心をおこすと魔を心底恐れさせて降参させてしまう。つまり心がおかしくなりかけたときは他者に対する慈しみの心をおこせば魔は逃げていくということです。)
「陀羅尼の秘法というは方によって薬をあわせ、服食して病を除くがごとし」(性霊集巻9)(密教の修法によれば処方箋どおりに薬をのむように効果がでる。)
華厳経、縁起甚深品には、
 文殊菩薩が覚首菩薩に問うて言うに、
「仏子よ、心の本性は一つであるのに、どういうわけで、この世はいろいろの差別が生じているのでしょうか。幸福な人もおり、不幸な人もおり、肢体の完全なものもおれば、不具者もおり、容貌の端正なひともおり、みにくいものもおり、くるしんでいる人がいるかとおもえば、たのしんでいる人もいる。また、じぶんの世界を反省してみると、(1)業は心をしらないし、心は業をしらない。(2)感受は、その結果をしらないし、結果は感受をしらない。(3)心は感受をしらないし、感受は心をしらない。(4)因は縁をしらないし、縁は因をしらない。」
 これにたいして覚首菩薩は、次のように答えている。
「衆生を教えみちびくために、あなたは、よくこの問題をたずねてくれた。わたしは、世界のありのままのすがたを説こう。よくおききなさい。
 すべてのものは、自性を持たない。それがなんであるか、ということをたずねても、体得することができない。したがって、どんなものでも、たがいにしりあってはいない。
 たとえば、川の水は流れ流れてやむことがないが、その一滴一滴は、たがいにしらないように、すべてのものもまた、そうである。
 また、大火はもえて、しばらくもとどまらないが、そのなかのそれぞれの炎は、たがいにしらないように、すべてのものもまたそうである。
 眼・耳・鼻・舌・身心などは、くるしみをうけていると感じているが、しかし実際には、なんのくるしみもうけていない。
 ものそのものは、つねに微動だもしていないけれども、あらわれているほうからいえば(「存在する」という行為からいえば)、つねにうごいている。しかし実際には、あらわれているということにも、なんの自性もない。
 ただしく思惟し、ありのままに観察すれば、すべてのものに自性のないことがしられる。このような心眼は、清浄であり、不思議である。
 だから、虚妄(こもう)といい、虚妄でないといい、真実でないということなどはかりのことばにすぎない。



医経に「衆生病を得るに十因縁あり。一には久しく座して臥せず、二には食貸すことなし、三には憂愁、四には疲れ、五には淫逸、六には瞋恚、七には大便を忍ぶ、九には上風を制す、十には下風を制す。」
涅槃経に「一切衆生に四毒箭あり。貪欲、瞋恚、愚痴、驕慢なり。もし病因あらばすなわち病生ずるあり。いわく、寒熱肺病、上気吐逆、皮体しゅうしゅう、その心悶乱、下痢噦咽、小便淋漓、眼耳疼痛、腹背脹満、顚狂乾消、鬼魅に着せらる。このごときの諸病諸仏世尊あることなし。」「二つの因縁あらばすなわち病苦なし。一には一切衆生を憐憫し、二には病者に医薬を給施す。」「もし仏子一切疾病のひとをみてはまさにつねに供養するところ仏のごとくにして異なることなかるべし。八福田(仏、聖人、和尚、阿じゃ利、僧、父、母、病人への供養)のなかに看病福田はこれ第一の福田ならん。」
中国の華厳五祖とされる圭峯宗密は「原人論」に「身を修めることなく悪行にふけるもの(夏の桀王や殷の紂王)が貴人の扱いを受け、倫理道徳の道を守るもの(孔子、孟子)は身分がいやしいとされ、徳行なくも財力に富み(斉の景公)徳があっても貧乏くらし(原憲)逆臣であっても吉祥があり(魏の曹操)大義に殉じても凶運となる(諸葛孔明)仁愛の実践者でも若死にし(顔回)横暴をきわめても長命のものがいる(盗跖)天の道に従順なものが亡び、道理に背反するものが栄えるといった不条理はどうしておこるのか」と書いていますが答えは書いていません。

2008年4月13日日曜日

今日は森巌寺の護摩の日でした。護摩の中で瞑想がかなり深まりました。昨日の善通寺の瞑想のときの余韻が残っていて自分の無始以来の貪、瞋、痴、慢、疑、悪見、身見、辺見などの業がかなり燃えたようにおもいました。炎も非常にありがたくたかくあがりました。

2008年4月12日土曜日

善通寺の声明の会にいってきました。17年19年とお遍路に行って以来3度目です。とくに19年には宿坊に泊めていただきお大師様生誕の地での朝の勤行や戒壇めぐりに感動、またホテル以上の温泉大浴場などの設備にも感激してまた参拝したいとおもっていましたので3度目のご縁をいただき嬉しくてたまりませんでした。朝の勤行では寺の僧侶の方と同じように上の段にあげていただきました。寺の僧侶の方々がくるまで時間があったので少し瞑想しました。すると今までにない境地にすいこまれるようにないました。即ち「自分も壇の下にいる大勢のお遍路さんたちも無始以来の流転を繰り返している存在なのだ。たまたま縁あってこうしてお大師様の生誕の地でこうして朝お参りできているがこれは大変なことなのだ。まさに「人心受けがたし今すでに受く、仏法聞きがたし今すでに聞く、この身今生において度せずんばさらにいずれの生においてかこの身を度せんや」ということなのだ」と思いました。共に仏法を聞き今生で解脱できますようにと祈りました。寺僧の方々と前讃や理趣経をおとなえし三国伝来の錫杖をいただいたあと大勢のお遍路さんに混じって戒壇めぐりをしました。4人のまだ若い女遍路連のあとから真っ暗な戒壇にはいりました。するとこの女遍路の人たちは自然と「南無大師遍照金剛」と唱えだしたのです。わたしも一緒にお唱えしながらこの女遍路の純粋な信仰心におもわず涙ぐんでしまいました。
 あとでお大師様と父君善通公、母君玉依姫三尊を咫尺の距離で拝することができさらに涙が滂沱とながれでました。遍路でいいなあとおもったところはかならずご縁が深くなるものだとおもいました。

2008年4月6日日曜日

今日はいつもの河南さんが2月8日に針供養にときに撮った私の護摩の後姿を寺の住職が後ろからおがんでいる写真をくれました。よくみると私の後姿と住職の後姿それぞれに薄い黄色のもやのようなものがかかっていました。なにかここの仏様がよろこんでおられるしるしのようにみえました。

2008年4月4日金曜日

先日、護国寺で鬱病の人に「欝を治すにはすべての人が幸せになりますようにと祈ることです。」といったがそのあと大師堂のまえのお地蔵様の前で「このお地蔵様は何でも一つのことだけ聞いていただけるのですよ」というとこの鬱病のひとは「すべての人が幸せになりますように」と祈った。正直そのようにいのるとは予想していなかったのでびっくりした。私自身はいつも育ててもらった義母の幸せをいのるだけであったので「うーん、してやられた」と思った。しかしこの欝の人の祈りは思い出しても痛快な祈りではあった。すべての人がしあわせになれば自分も幸せになれるのだ.
また亡父の夢を見た。座敷に祭壇がある。父とおまいりすると三宝にのせてある紙のおまもりみたいなものが大きく動いた。これは「私の下に水子が二体いるがその水子の霊がそうさせている」と私が言った。父に「正確な命日と名前を書いてほしい」と頼んだ。供養する為である。しかし正確な命日は夢の中だったので正確に出てこなかった。夢の中ながら霊気がゾクゾクと伝わってくる祭壇であった。

2008年4月1日火曜日

亡父の夢の伝授

今朝不思議な夢を見ました。生家の山寺の廊下で私が父に「獅子の印はどういうものですか」と聞くと亡父が立ったまま右足と左足を45度外に向け交互に出しながら歩きつつ右手と左手も腹の前に人差し指を立て交互に「しゅるしゅるしゅる」と言いつつ出すしぐさをして「これが獅子の印だ」と教えてくれました。さらにわたしが数畳もあるパラフィン紙にかかれたなにかの次第をひろげて父に教えを乞おうとして目が覚めました。たいへん有難い夢でした。「獅子の印」なるものが本当にあるのかどうか分かりませんがこんなにはっきり夢で伝授されるということがあるものだと有難さで一杯です。亡父も相当あの世で高い位にいるということも分かりました。