今日護摩のあとでいつもみえる若い方が「今日の護摩の雰囲気はいつもと違っていました」といいます。
「どう違いますか」と聞くと
「いつもは此の季節新緑のなかでいかにも寺に来ていると言う雰囲気ですがきょうは厳粛で仏様がそこにおられるという雰囲気でした」といいます。
毎日修法をし、瞑想をしているからそういう雰囲気になったのでしょうか。
それとも先日来瞑想のなかで「自分も山川草木も一切が如来の元から来ている」ということが実感できたのでそのせいでしょうか。
いずれにせよ昔田原先生がいわれた「行は修したら修しただけのことはある」ということばを思い出します。
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