2008年6月20日金曜日

自分の生きる意味を自分で考えるのは暇な愚者のなすこと

昨日警察庁が自殺者の統計を発表しました。3万3000人ということです。この背後に100万人の鬱病患者がいるといいます。インターネット上でも『生きる意味が分からない」という書き込みが多くあるようです。結論から言うと自分の生きる意味を自分で考えるのは間違っています。あるひとの生きる意味はその人の過去現在未来の関係者すべてが考えることです。過去や未来の関係者は考えようがないというかもしれませんがおおいにあります。あらゆる存在は過去現在未来の関係性を背負って存在しているのです。自分の生きるいみを自分で考えることそのことがまちがっているのです。無限の関係性のまっだなか中にいるくせに救いがたい視野狭窄に陥っている本人に分かるわけがありません。自分の生きる意味などかんがえるひまがあったら1つでも世のためになることをするべきなのです。自分の生きる意味など考え出したらそれだけでもうすくいがたい愚かな世界に入っているのです。

正法眼蔵(生死)に
「生死の中に佛あれば、生死なし。」とあります。

2008年6月14日土曜日

家族が初めての勤務さきで大ピンチに陥りました。進む事も退くこともできない今まで経験したことのない初めての事態でした。私は家族の部屋のお大師様のお姿の前で家族で理趣経、般若心経、大師宝号を唱え、行に使った数珠を家族にもたせました。するとその日のうちにお蔭があらわれ家族の勤め先のトップが突然電話をしてきてピンチを救ってくれたのです。この後もつぎつぎと周りにお助けマンがあらわれて家族の職場のピンチを救ってくれています。なんと御礼していいか分からないくらい感動しています。自宅でも仏壇と88所掛け軸の前で数種の修法を毎日朝夕行いました。その後数日して家族をピンチに陥れていた張本人の問題上司は突然転勤となりました。あまりのお蔭のはやさと奥深さにありがたさを通り越して粛然としました。川崎大師にもおまいりにいっており、その8日目ぐらいだったと思います。21回はおまいりにいくこととしています。必死のいのりは必ずかなえられます。

2008年6月7日土曜日

昨夜有難い夢を見ました。こうです。道を歩いていると多くのならず者のような人々に取り囲まれましたが、「遍路だ」というと囲んでいた人々がとたんに態度を変え、尊敬の眼になり、奥から紙を持ってきて揮毫を頼みます。わたしは『南無大師遍照金剛」と書きました。我ながら有難い夢でした。