2009年4月29日水曜日

大日如来の自覚

密教では宇宙、この世の本質や真理が大日如来として表れているといいます。山、風、海、草花すべて大日如来ならざるはなしということなのです。すべてが宇宙の真理の表れであり大日如来のあらわれなのです。行でもそういう観想をしてきました。しかしいまおもいかえすとややもすればむりやり力ずくで観想していたきらいがあります。自分の肉体、存在と宇宙法身の間にはやはり言うにいえないなにか隔たりを感じつつ無理に一体感をだそうとしていたのです。しかし最近の胎蔵法で、自分の肉体、自分の体、命もまた大日如来の現れであり庭の草花とも本当に一つである、というなんともいえない自覚に達することが出来ました。この根源をつかめば見果てぬ夢とおもっていた「衆生無辺誓願度,福智無辺誓願集,法門無辺誓願学,如来無辺誓願事,菩提無上誓願證」などの五大願も実現できるのではないかと思い至りました。

2009年4月22日水曜日

本の記述から

昨日よんだ本の記述でこれだというものがありましたので記録しておきます。
1つめは大法輪5月号の立松和平「良寛」に良寛が「日々の修行の本質とは自分を保ち、他をも保つことだ。なぜかというと自分の日々の修行はそのまま全天地と全宇宙を覆うものであって皆がその功徳をこうむるからなのである。」というものです。こうしている今も各地で千日回峰行、八千枚護摩、座禅、滝行、求聞持、遍路、絶食等人に知られず行に励んでいる行者もおおいのです。こういうひとは孤独なのではなくまさにその行が全宇宙を覆っていたのです。
2つ目は大乗起信論の解説をしている渡辺照宏師の「真如」という論文でここに心真如を解説して「万物は本来からいえばそのまま絶対界であって概念や言語によって把握することもできないし変化することもない・・・」というくだりです。ここをよんでいて改めて先週井の頭線で沿線に咲いていた皐月のピンクの花々と周りの木々の新芽の緑をみてまさにこれは曼荼羅だと思ったことを思い出します。