2008年10月21日火曜日

発心も修行もエンドレスに必要

先祖供養がエンドレスに必要と書きましたがその前に我々の発心がエンドレスに必要なのです。エンドレスに発心しエンドレスに修行し、エンドレスに先祖供養するのです。

道元禅師も発心を百千万発するなりとおっしゃいました。(「仏道の身心は草木瓦礫なり、風雨水火なり。これをめぐらして仏道ならしむる、すなはち発心なり。虚空を撮得して、造塔造仏すべし。谿水を掬して、造仏造塔すべし、これ発阿耨多羅三藐三菩提なり、一発菩提心を百千万発するなり。修証もまたかくのごとし」(正法眼蔵・発無上心) )

2008年10月13日月曜日

我々が覚らなければ先祖も成仏できない

我々は無始以来の先祖の遺伝子のかたまりです。つまり因縁の塊です。我々の中に先祖がいます。その意味では我々が覚らなければ先祖も成仏できないのではないかと今朝ふと思いました。そこでだいじなのが切れ目のない先祖供養になってくるのです。これでいいということはありません。我々自身が中途半端な存在ですから。われわれの修行も先祖供養もエンドレスなのです。

2008年10月12日日曜日

祈願を続けると大きな安心を得る

私の護摩のお参りに数ヶ月来ている人が今日私に「いままでは毎日なにか原因不明の不安感をもって暮らしていましたがこのごろ護摩にくるようになってからは感じなくなりました。逆に何か大きなものにつつまれている感じがしています。徐々にありがたさを感じるようになりました。」といいました。

2008年10月4日土曜日

結縁灌頂のこと

灌頂は5種類に区別される(五種三昧耶、「大日経秘密曼荼羅品」)。第一三昧耶は曼荼羅を遠くから礼拝供養させる。第二三昧耶は結縁灌頂のことで曼荼羅壇に入って投華得佛、有縁の尊号、印真言が授与される。第三三昧耶は受明灌頂、第四三昧耶は伝法灌頂、第五は秘密三昧耶。このうち結縁灌頂は略出経に「一切衆生を悉く救わんがため、その器たると否とを論ぜず、尽く引入せしめ一度入壇すれば一切の罪障遠離す。」と説く。お大師様は弘仁十三年東大寺真言院にて平城帝、十四年には冷泉院にて嵯峨帝、天長元年には仁寿殿にて淳和帝に結縁灌頂をお授けになっている。

次第は先ず塗香、洒水、覆面、次に普賢三昧耶の印を受け「おんさんまやさとばん」ととなえる。三昧耶戒といい、これは真言行者の根本態度を誓うもの。このとき「おんさんまやさとばん」ととなえるがこれは心佛衆生の三平等を信じますというもの(普賢菩薩のご真言でもあるが普賢菩薩は修行する金剛薩埵もあらわすので同じ御真言となっている)。三昧耶戒の内容は1、正法を捨てない、2、菩提心を捨てない、3、法を惜しまない、4、衆生済度に務める、の4つ。次に内陣の大壇に導かれ投華得佛する(今はすべて大日如来に投華となる)。次に小壇処において阿闍梨より三度五鈷を授けられ一印一明を授かる(省略も)。これが結縁灌頂の概略であるが要は勿体無い仏縁を頂き今後一身をなげうって衆生再度に務めますということがポイントであろうと思います。

2008年10月3日金曜日

結縁灌頂のありがたさ

10月1日高野山で結縁灌頂を同志の方々と受けてきました。ローソクの炎のなかで何十人という受者の唱える「おんさんまやさとばん」という地の底からわいてくるような声が今も耳にのこっています。また屏風の向こうから聞こえる式衆の唱える厳かな声明の響きもこの世のものとは思えません。金堂前でであった青年は四国を歩いて周りそのままこの結縁灌頂を受けるためにお山に登ってきたのだといいました。ありがたいことです。私の前にならんでいた84歳と言う老人は結縁灌頂を20回うけたが毎回ありがたくて涙がでると言いました。私も堂内で涙が出ました。しかし俗世で暮らす我々はよほど仏縁が深くなければこういう機会にはめぐり合えないでしょう。逆にこの類まれな仏縁に会えたということでわれわれは腹のそこから自信がついて高野山をあとにしたことも確かです。