2008年11月21日金曜日

不二ということ

西新井大師で大師招来の現図曼荼羅の平成版原寸大の巨大複製が15年かけて完成したというのでその製作者の中村師のはなしを聞きました。師によると胎蔵曼荼羅の裏は金剛曼荼羅の表であり金剛曼荼羅の裏は胎蔵曼荼羅の表であるということです。すなわち金胎不二ということです。

よくよくかんがえると生と死もこのような構造になっているのではないでしょうか。生のうらは死の表。死の裏は生の表すなわち生死不二というように。

また煩悩と覚りも同じように悟りの裏は煩悩の表、煩悩の裏は悟りの表ともいえるのではないか即ち煩悩即菩提というように、と思い至りました。

2008年11月17日月曜日

法縁の深さ

先日護摩堂で護摩の準備をしていたところ何組かのおまいりがありました。

お参りする人たちも家族でという方はそう多くありません。そんな中すっきりした感じの3歳くらいの子供をつれた若夫婦とその母親がお参りに来ました。わたしはいつものようにお祀りしている閻魔さまやお不動様のことを諄々とおはなしし仏様は祈れば何でも助けてくださることを伝えましたが最後にそのお婆さんが「じつはわれわれは浄土真宗の寺のものです」というのです。

釈迦に説法とはこのことです。なにか熱心にきいてもらったのが申し訳ない気もしましたがその方たちは「いいおはなしをきかせて戴きました。とくに閻魔様が老人、病人、死人になって人生の真実を教えていると言うことは知りませんでした。たいへん参考になりました。」と感激してくれました。

そしてなんとこのかたたちのお寺は鹿児島に在るといいます。私も岡山の寺をでてこうして東京でふらふらしているのですというとこの方たちも一度寺を出たがいまはまたもどってお母さんが尼さんとして寺を守っているというのです。

鹿児島は私も数十年前一年間だけ勤務したことのあるところです。寺を出たと言う境遇も似ていて何か大変懐かしい気持ちになりました。何十年も昔が甦ってくる気がしました。

そもそもこうして護摩と焚いているところは浄土宗の寺です。浄土宗大本山増上寺は子供が小さいとき家族で散策をかねて何度もお参りに行ったところでもあります。

また岡山の寺をでて40年後のいまでも不思議なご縁で地元の自治体のかたとのつながりも復活しています。
法縁無尽とは此のことです。

2008年11月8日土曜日

お経には不思議な功徳があります。

お経の功徳について、お経には不思議な功徳があります。

「法華経陀羅尼品には「(お経を)受持し、読誦し、義を解(さと)り、説の如く修行せば、功徳はなはだ多し」とあります。

  白隠禅師も「(観音経は)場所を選ばず、時節を嫌わず、馬上にても枕上にても、行住坐臥の間において、間断なく唯読み得るを貴しとする由」(辺鄙以知語)と説いています。


読経は単に読むのでなく「我々の一念一念の中に未来際を尽くして説法を続けておられる佛の声を聞くこと」(玉城康四郎東大名誉教授)であります。

そしてさらに読経の瞬間は身は合掌し口はお経を唱え心は仏様を念じているのですから身口意の三業が三密に転化しており即身成仏しているともいえるのです。

那須政隆師は「祈ることそれじたいがもはや結果なのである。祈祷の秘訣は自己のすべてを祈祷にうち任せるか否かにある。結果の如何を思い煩うものには到底真の霊験は望みえない。日夜に祈って倦まなければ必ず福智円満の悉地に恵まれ人間最上の法楽三昧を獲得するであろう。」と述べています。

身の回りにもうつ病で何回も入退院を繰り返していた人が病床で般若心経を写経し繰り返し唱えることで完全に回復した例があります。

僧侶もお経を繰り返し唱えることが大切な行の一つとされています。自分自身も限りないお蔭を戴いています。

高野山や遍路道のほとりには多くの「光明真言百万遍之碑」等を見かけますがこれらを見ても昔からお経を繰り返しとなえることが熱心におこなわれてきたことが分かります。

1、 般若心経の功徳について
・お大師様の「般若心経秘鍵」には「誦持講供すれば則ち苦を抜き楽を与え、修習思惟すれば則ち道を得、通を起こす。」とあります。(即ち現世利益も覚りもともにいただけるということです。)

・訳経者の玄奘三蔵自身が印度への求法の旅の途中で悪鬼に襲われたとき般若心経を唱えて救われたとあります(大慈恩寺三蔵法師傳)
他のお経にも功徳が書いてあります。
・「良家の男子にせよ女子にせよ、この知恵の完成を書きしるして、みずからも唱え、他人のためにも書きしるして与えるとしよう。彼は、(無数の有情を禅や神通に定着させる)良家の男子や女子よりも、より多くの福徳をやすやすと得るであろう。さらにまた、良家の男子や女子が、意味に通暁してこの知恵の完成を唱え、前の(人と同じ)ように、他人のためにも書きしるして与え、その意味文字とともに説明し、解釈してやるならば、カウシカよ、その良家の男子や女子は、より多くの福徳をやすやすと得るであろう。『八千頌般若経』
・『金剛般若経』」には「さて、スブーティよ、女子にせよ、男子にせよ、朝のあいだにガンガー河の砂の数に等しい(自己の)身体を喜捨し、同様に、間にもガンガー河の砂の数に等しい身体を喜捨し、夕刻にもガンガー河の砂の数に等しい身体を喜捨するとしよう。このようにして、百・千のコーティ・ニユタという多くの劫のあいだ、身体を喜捨しつづけるとしよう。他方、この法門を聞いて、(それを)謗らないものがいるとしよう。(両者のうちで)後者こそが、そのことによって、より多くのはかりしれない無数の功徳を集積するであろう。まして(の法門を)書写して把握し、記憶し、読誦し、理解して、さらに他の人々にくわしく説明するものはいうまでもない。
古来心経は障碍の除去とくに除病に効くとされてきました。
・天平時代、国家の平安を祈り聖武天皇と光明皇后が書写された「隅寺心経」は今日でも『般若心経』写経のお手本とされています。
・宝亀4(773)年には疫病が蔓延したので告示が出されました。「それ摩訶般若といっぱ諸仏の母なり。天下これを念ずれば兵戈災害も国中におこらず、庶民これを念ずればすなわち疾疫霊癘鬼も家内に入らず。この善利によって・・よろしく天下に告ぐべし摩訶般若を念ぜよ。」(般若心経を念ずれば国には平和が訪れ、庶民は病気や不祥事から逃れることが出来る。般若心経を念じなさい。)というものです。その後疫病はたちまち止んだといいます。
・またお大師様の「般若心経秘鍵」には「ここに帝王、自ら黄金を筆端に染め、紺紙を爪掌に握って、般若心経一巻を書写し 奉りたもう。 予、講読の選にのっとって、経旨の宗をつづる。いまだけ結願の言葉を吐かざるに、 蘇生の族、途に佇む。夜 変じて、日光赫赫たり。これ愚身が戒徳にあらず。金輪 御信力の 所為なり。(弘仁9(818)年の大疫にも嵯峨天皇が般若心経を写経されたので病気が治ったひとびとが道に佇んだ。)」とあります。
嵯峨天皇を始め、後光厳・後花園・後奈良・正親町・光格天皇などは宸筆写経をされ、現在でもこれらは京都大覚寺内の勅封般若心経殿に納められています。

・当麻寺の中将姫は1000巻の写経の功徳によって、極楽浄土を感得され国宝・綴織當麻曼荼羅を刺繍されたとされます。
・塙保己一は34才で『群書類従』の出版を決心した時、北野天満宮に『般若心経』100巻を千日間あげて完成を祈願しました。そして41年かけて見事、文政2年(1819)74才で『群書類従』全670冊を刊行しています。
・妙極堂教戒(浄厳)は「なぜに般若をもって法楽となすや、かの如来などはみな般若の威力によって生ずるが故に、諸天などはみな般若の威力によって生ずるがゆえに、般若を聞くときに往恩を報ぜんがための故にきたりて護持をなすなり。」といっています。


2、 観音経の功徳について
   観音経そのものが正式には「妙法蓮華経観世音菩薩普門品」というように「観世音菩薩」が「普門」(あらゆるところ)示現されて衆生済度をされるというお経ですからお経そのものが観音様の功徳を書いてあります。(実は観音様とは自分自身でもあるのですから「普門」は当然ではあるのですが・・・)。
・天台大師智顗は「摩訶止観」で、六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天)救済の六観音を説き、「観音玄義」で観音様と衆生は元来一つである述べ、入滅に際しては、観音さまの来迎をうけて往生されたと伝えられています。
・日本仏教の祖、聖徳太子は「法華義疏」の中で観音様が種々の肉身を現して衆生済度することを説いています。親鸞聖人は聖徳太子を観音様の化身と呼んでいます。
     ・今昔物語巻十六には観音様の霊験が四十ばかり集められています。例えばその中の第一話 は「僧行善観音の助けによりて震旦よりかえりきたれること」というもので仏法のため 高麗にわたった僧が唐との戦にまきこまれて兵におわれ河を渡ろうとするが橋も船もなくこまって観音様を念じると突然老翁が操る船がきて渡してくれるがそのあと船、翁ともに消えてしまいます。「行善これ観音のたすけたまふなりけり。とおもひて・・観音の像を造り奉りて供養して日夜に恭敬したてまつること限りなし。」とあります。第十六話としては有名な蟹満寺の縁起があります。「山城の国の女人、観音の助けによりて蛇の難を逃れること」と言う題です。日頃観音経を読誦し観音様を念じていた女性が道で蟹を助けます。一方、ふとしたことでこの女性は大蛇にみいられ家を襲われますが僧がきて「玩蛇及蝮蠍 気毒煙火燃・・」等と唱えよと教えます。そのうち多くの蟹が現れ蛇を退治し女性を助けたと言うものです。「その後、蛇の苦を救い、多くの蟹の罪報を助けんがために・・その上に寺を建て・・」これが蟹満寺であるとしています。第二十五話は「島にはなたれし人、観音の助けによりて命を存したること」というもので悪人により無人島にとりのこされた大隈の掾という人が無人島でも毎日観音経をあげていたところ突然釣り船が来て助けられたという話です。
    ・道元禅師も中国からの帰途、船が暴風雨に逢うが観音経を読誦し助っています。 
・「坂東観音霊場記」の著者亮盛も桑名沖で時化にあい遭難しかかったとき観音経をあげ坂東を巡り霊場記をあらわすことを観音様に誓約して難を逃れています。  
・白隠禅師は「辺鄙以知語」で「(観音経を)読誦する人 、僧俗男女をえらばず、或は難病を治し、或は災難を遁れ、あまつさへ読む人必ず長寿を得。」と説いています。
・高村光雲は浅草の観音様をおまいりして仏師になる決意をしています。
・熊平金庫(広島)の熊平源蔵氏は日頃信仰する観音さまのおかげで8月6日にさまざまなハプニングがおこり電車を遅らせたおかげで原爆にあわなかったと「わたしの観音霊験記」に書いています。                                                                                                                                                                                                                                   
      

2008年11月1日土曜日

数珠のこと

数珠は108顆を通常とします。片方に54ずつあります。この54は菩薩の十信、十住、十行、十回向、四善根、十地の54位を表すとされています。このうちの片方は本有(本来持っている佛性)、片方は修生(修行によりたどりつく佛性)をあらわすとされています。糸は観音様でこれは修行する人その人を表します。修行者が54の位をあまねく経ることを表します。

次におおきな母球は阿弥陀如来で悟りの結果(佛果)を表します。したがってつま繰るとき母球を越えないようにします。佛果より上はないからです。

母球の下に一の小玉があるのは補処の弟子です。その下に5こずつついている10個の記子(かずとり)は十波羅密を表します。

54だけの数珠は修正の五十四位を表しています。
42このものは十住、十行、十回向、十地、等妙の四十二位を表しています。
27このものは小乗の27賢聖
21このものは本有の十地、修正の十地、佛果を表しています。

「数珠功徳経」には「菩提子の念珠を手にして身に随えば、福を得ることは無量」とあり、
「一字頂輪王儀軌」には「珠を敬うことは佛に対するのとおなじようにすべきで軽々しく扱うべきではない。なぜならば珠によって功徳をつんで速やかに成就できるからである」とあります。