先日護摩堂で護摩の準備をしていたところ何組かのおまいりがありました。
お参りする人たちも家族でという方はそう多くありません。そんな中すっきりした感じの3歳くらいの子供をつれた若夫婦とその母親がお参りに来ました。わたしはいつものようにお祀りしている閻魔さまやお不動様のことを諄々とおはなしし仏様は祈れば何でも助けてくださることを伝えましたが最後にそのお婆さんが「じつはわれわれは浄土真宗の寺のものです」というのです。
釈迦に説法とはこのことです。なにか熱心にきいてもらったのが申し訳ない気もしましたがその方たちは「いいおはなしをきかせて戴きました。とくに閻魔様が老人、病人、死人になって人生の真実を教えていると言うことは知りませんでした。たいへん参考になりました。」と感激してくれました。
そしてなんとこのかたたちのお寺は鹿児島に在るといいます。私も岡山の寺をでてこうして東京でふらふらしているのですというとこの方たちも一度寺を出たがいまはまたもどってお母さんが尼さんとして寺を守っているというのです。
鹿児島は私も数十年前一年間だけ勤務したことのあるところです。寺を出たと言う境遇も似ていて何か大変懐かしい気持ちになりました。何十年も昔が甦ってくる気がしました。
そもそもこうして護摩と焚いているところは浄土宗の寺です。浄土宗大本山増上寺は子供が小さいとき家族で散策をかねて何度もお参りに行ったところでもあります。
また岡山の寺をでて40年後のいまでも不思議なご縁で地元の自治体のかたとのつながりも復活しています。
法縁無尽とは此のことです。
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