2008年8月19日火曜日

8月16,17日と高尾山峰中修行に参加しました。17年に続いて2回目でしたが今回のほうが心境がすすんだ気がしました。よるローソクと護摩の炎だけの本堂での千巻経は特にありがたいものでした。一緒に言った友人は有難くて涙が出たと言っていました。下山のときはほとけさまが90人弱の参加者によく行にはげんだな、下界に帰っても衆生済度につとめよとおっしゃっているきがしました。自宅に帰ってよるお勤めをしているとしきりと空耳でほら貝のおとが聞こえました。また夢におおくの小乗仏教の衣体を付けた僧の集団が現れました。

2008年8月8日金曜日

8月になり兄弟姉妹3人ですんでいる85歳の実家の母が家を出ると言い出しました。足も悪いのに妹弟の面倒を見きれないというのです。一緒にすんで母の面倒をみていないので母に任せるほかありません。電話でいつでもかえって手伝うからと言うのが瀬一杯です。毎日先祖供養を何十年もしていてもなかなかいざと言うときは大変なのだなあとなんともいえない気持ちになりました。その日は特に念入りに母の家系の先祖供養もしました。翌日電話をしてみるとなんと母の足は医者が太鼓判を押すほど完璧に治ったと言うのです。こんなことがあるのでしょうか。

2008年8月3日日曜日

先日私の「四国八十八所の霊験」なる本を10数人のエリートサラリーマン、役人などが読書会をひらいてくれ徹底的に論じてくれました。読書会では、「四国に行きたい」というひとが4,5人でてきました。それ以外にもわたしの「苦悩するひとは代受苦の菩薩である」と言う考えや「根無し草の東京エリートと健全な地方人に分かれてきた」「おかげは必ずある」「全てに感謝するとおかげは無限である」などと言う考えにみな賛同してくれました。いままで「修羅道しか知らないエリートサラリーマンたち」と思っていたのは間違いだったかもしれないと思い始めています。かれらもこころの深いところではすばらしい佛性をもっていたのです。

2008年7月4日金曜日

身近のことで切羽つまったお祈りを1ヶ月くらいつずけました。さまざまな修法、般若心経一日200巻、川崎大師に二十一回通い、本堂のお大師さま、八十八所、不動堂をお参りするなど必死の祈りをつずけました。14日目にあたる6月28日のお不動様の日には常識では考えられない大きなお蔭をいただきました。必死の祈りは必ず叶えられると感無量になりました。涙がとまりません。

2008年6月20日金曜日

自分の生きる意味を自分で考えるのは暇な愚者のなすこと

昨日警察庁が自殺者の統計を発表しました。3万3000人ということです。この背後に100万人の鬱病患者がいるといいます。インターネット上でも『生きる意味が分からない」という書き込みが多くあるようです。結論から言うと自分の生きる意味を自分で考えるのは間違っています。あるひとの生きる意味はその人の過去現在未来の関係者すべてが考えることです。過去や未来の関係者は考えようがないというかもしれませんがおおいにあります。あらゆる存在は過去現在未来の関係性を背負って存在しているのです。自分の生きるいみを自分で考えることそのことがまちがっているのです。無限の関係性のまっだなか中にいるくせに救いがたい視野狭窄に陥っている本人に分かるわけがありません。自分の生きる意味などかんがえるひまがあったら1つでも世のためになることをするべきなのです。自分の生きる意味など考え出したらそれだけでもうすくいがたい愚かな世界に入っているのです。

正法眼蔵(生死)に
「生死の中に佛あれば、生死なし。」とあります。

2008年6月14日土曜日

家族が初めての勤務さきで大ピンチに陥りました。進む事も退くこともできない今まで経験したことのない初めての事態でした。私は家族の部屋のお大師様のお姿の前で家族で理趣経、般若心経、大師宝号を唱え、行に使った数珠を家族にもたせました。するとその日のうちにお蔭があらわれ家族の勤め先のトップが突然電話をしてきてピンチを救ってくれたのです。この後もつぎつぎと周りにお助けマンがあらわれて家族の職場のピンチを救ってくれています。なんと御礼していいか分からないくらい感動しています。自宅でも仏壇と88所掛け軸の前で数種の修法を毎日朝夕行いました。その後数日して家族をピンチに陥れていた張本人の問題上司は突然転勤となりました。あまりのお蔭のはやさと奥深さにありがたさを通り越して粛然としました。川崎大師にもおまいりにいっており、その8日目ぐらいだったと思います。21回はおまいりにいくこととしています。必死のいのりは必ずかなえられます。

2008年6月7日土曜日

昨夜有難い夢を見ました。こうです。道を歩いていると多くのならず者のような人々に取り囲まれましたが、「遍路だ」というと囲んでいた人々がとたんに態度を変え、尊敬の眼になり、奥から紙を持ってきて揮毫を頼みます。わたしは『南無大師遍照金剛」と書きました。我ながら有難い夢でした。