2009年5月9日土曜日
山川草木には神霊が宿っていること
慈雲尊者の「人となる道」に「およそ物あれば能あり、能あれば徳あり。世間事物の中、楽器は工匠の手より出で来るものなれどもその妙物は必ずその徳備わるなり。刀剣はヵ鍛冶が手により造立せるももなれども、その逸物にいたりてはその徳あるなり。まして山川草木は広大なる物なればかならず神霊あるなり。地水火風はさらに広大なれば四大神その徳著しきなり。五穀は人民を利する功大なれば必ず神霊あるなり。天はさらに尊尚なれば天神その徳あり。日月星辰みな神霊あり。有徳の君、有功の臣みな神霊あるべし。」とあります。
見果てぬ夢「衆生無辺誓願度」
嶋野榮道師「禅僧ひとりニューヨークに立つ、愛語の力」に感動的な場面があリます。嶋野師が先輩千崎如玄師が永らく預かって世話をしていた精神障害児を施設に何十年ぶりかで訪ねたときその児が「しゅじょうむへんしぇいがんど」とだけ言えるようになっていたというのです。千崎師が子守唄代わりに何度もその児におしえたのでしょう。「これが祈りの力というものです。・・ジミーは私を千崎師と勘違いしたようでした。私を見るなり、延びない手を一生懸命伸ばしてよだれをたらしながらなにかをしゃべりかけてきました。耳を近つけてきいていると最後に「しぇいがんど」というのが聞こえました。「誓願度」のつもりでしょう。その言葉を聴いた途端全身に鳥肌が立ちました。それまで私自身何千回何万回「衆生無辺誓願度」と唱えてきたか分かりません。しかしあのときのジミーの口からでた「しぇいがんど」くらいズーンと響くものはあとにも先にもきいたことがありません。」と書いてありました。
精神障害児ジミーはまさに代受苦の菩薩として衆生の苦を引き受けていることを「しぇいがんど」で表しているのではないかとおもいました。
精神障害児ジミーはまさに代受苦の菩薩として衆生の苦を引き受けていることを「しぇいがんど」で表しているのではないかとおもいました。
定住観を修しました。
「思え自心の中に満月輪あり、その上に阿字あり、阿字本不生不可得なるが故に心の自性本不生不可得なり、心不可得なるが故に衆生不可得なり、心の自性本不生不可得なるが故に衆生の自性本不生不可得なり、衆生の自性本不生不可得なるが故に諸佛の境涯本不生不可得なり、諸佛の境涯本不生不可得なるが故に佛界、衆生界無二平等なり、佛界、衆生界無二平等なるがゆえに自身即ち本尊、本尊即ち自心なり。」というものです。やっと分かりかけてきました。
2009年5月4日月曜日
高野山上での不思議な出会い
5月1日高野山上刈萱堂の前あたりでとつぜん自分の名を呼ばれた気がしました。自分の名など山上で知っている人はいないのだから気の所為だと思い、なおも歩いていくとやはり後ろから自分の名を呼んでいます。ふりかえるとかなり後方で自家用車の窓からだれか顔をだしてこちらを見ています。人違いで呼んだのだろうとなおも戻っていくとなんとその人は何十年も行を指導していただいている先生だったのです。先生は奈良に住んでいるのでそうそう頻繁に高野山に来る事はないのですがこの日は大峯山にいく途中だったということでした。私の後姿を車の中でみて呼びかけてくださったのです。おかげで夏からの行の相談まで出来ました。先生には昨年四国の三角寺でも遍路途中でばったり出会っており二回目の迴会です。ふしぎな有難いことでした。
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